私たちの根源にある罪と罪悪感のカラクリと構造
続きです。
そしてこれらの続きに、
が更に続きます。
より深く広い癒しのスタートです。
何かしらこれらのシェアが
お役に立ちましたら幸いです。
犠牲者、加害者、死刑執行人、傍観者というキョーレツな配役の陰にある構造について、
もう少し拡大した視点をシェア致します。
その構造の中でこれらの配役が活かされるステージがあり、
そのステージと配役はセット(共依存とも言えるでしょう)です。
靈氣の施術後21日間の遠隔送信サポート中、
だいたいの目安として、
1週間毎に浄化、手放し、解放が起こりやすい分野/レベルがあり、変化していきます。
自己治癒力が高まり心身改善のプロセスが掴めてくると、より意識化しやすく、意識化できると解放がより定着しやすくなります。
2週目で思考グセや感情のパターンが手放され始めると、3週目でいわゆる繰り返されるどれかしらの配役のループの舞台となる構造、システム、からの解放が始まります。
あくまでもその方の最高最善であれば、
ご本人がそう望むなら、の場合です。
あのキョーレツな4役は、
私たちの奥深くに根深くある罪の意識や罪悪感から織りなされる舞台設定と仕組み、世界観
が無ければ成り立ちません。
でもちらっとお話しましたが、
あらゆる宗教にある善と悪、天国と地獄という
二元論、というやつです。
派生して、
罪とゆるし、原因と結果、困窮と救済
これらも過去からの傷で繰り返される
思考/感情パターンで視点は固まりますし、
更には頑なに信じ込んでいるその枠組み自体に
気づけないか、最適でないことに気づけないか、
気づいていても抜けられないか、
心身改善を阻むいろいろな原因が混在しています
。
しつこいですが、
良い悪いは置いておいて、
この構造自体を良い悪いとジャッジして
苦しむのは時間のムダかもしれません。
(個人の自由は尊重します!)
自分に最適で無いのなら、
靈氣を活用して、この構造を解放するきっかけに使ったらいいのです。
自分を囲っているお城が突然合わなくなる事もあるでしょう。
罪、という観念と事象を活用して
"ゆるし"の体験をする前に、
まずは自分が体験してきたこれらの4役を
炙り出していく必要があります。
具体的に、32のステップでは
ステップ5から許可、承認、受容、ゆるし
について癒しと解放の旅をしていきます。
その場合、
「犠牲者」の体験を手放して癒す、
てどういう事?となりますが、
ざっくりお伝えするだけでも、
毎回する、としない、の2段階あります。
続いてされる、とされない、の2段階。
そしてあくまでも目安であって、
ルールや鉄則ではなく、
どんなルートを通るかは個人差があります。
私が癒されていく際のルートはこうでした、
の一例だと思ってください。
マイケル・サンデル氏や自己啓発の本を読んだからではなく、
靈氣の施術を受け、毎日自分で手を当てて、
遠隔送信もしてと取り組むうちに現れた、
いくつもある癒しのルートの一例です。
例えば、"ゆるし" では、
まずは自分自身をゆるしているかどうか、
その次に他者をゆるしているかどうか、
続いて大多数や全体、あらゆる対象に対して
ゆるす自分とゆるさない自分がいます。
自分がゆるすかどうかを采配している状態。
ゆるす/ゆるさない、
どちらも「犠牲者」でなければできない。
自分が犠牲者だという認識/構造と前提
がなければ、そもそもこの状態になりません。
準備ができていると、
これらの体験が癒されていきます。
自分が犠牲者の役をしたような状況、
つまり犠牲者だと感じて/信じている体験のなかで
犠牲者になった自分をゆるしていきます。
続いて、
自分自身がゆるされているかどうか、
自分から、他者から、大多数や全体から?
いずれにしても
自分で采配できるのは
自分が自分をゆるしたり/ゆるさなかったりで
それ以外は采配できない。
「加害者」という認識/構造と前提があって、
ゆるされるか/ゆるされないか?
の世界が成立します。
それらの構造を信じている自分を知ります。
これらを癒していきます。
他人同士が繰り広げるゆるす/ゆるさない劇場に
一緒に介入する自分、
どちらかの味方になるなどして加担する、
ジャッジをして裁く、
ヒーロー/ヒロイン役としてどちらかを成敗する自分、
死刑執行人や裁判官としての自分がいる状況では、
そのようなドラマに無意識に出演して、
自分の「犠牲者」と「加害者」の体験を
無意識に昇華しようとします。
他者の体験を通して癒そうとしてしまうのです。
他者のドラマなんですが、
自分が采配する立場になろうとしてしまうのです。
ステップ13からスタートする、
裏切られた傷から始まる支配型の癒しに繋がるでしょう。
単純ではありませんが、
複雑に積み上げた城壁を最適化していきます。
癒されると、
介入したとしてもどちらにも中立であれるでしょう。
いずれにしても、常に自分の心の状態が重要です。
癒す目的は心の状態の在り方です。
最後に「傍観者」です。
他者のゆるす/ゆるさない/ゆるされる/ゆるされない劇場を傍観している状況です。
手を出すのか出さないのか意思決定がなく、
ただ立ち尽くすという事になります。
ステップ13からスタートする、
拒絶された傷からなる逃避型の癒しに繋がります。
これ以外にもさまざまな傷が絡み合っています。
癒されると見守る、という心の状態であり、
本人の意図で介入していません。
はたから見ると分かりづらいのですが、
本人の心は揺らいでいないしブレていません。
本人の意図で介入していません。
癒されると、
「死刑執行人/裁判官」と同じように、
本人の意図と心の状態が変わります。
ざっとお話するだけでも多重の構造があることが
伝わりましたでしょうか?
ゆるしにまつわる
犠牲者、加害者、死刑執行人、傍観者がいます。
全ての役の体験を思い出し、
気づき、意識できたならかなりの改善に繋がります。それらの体験を手放し始めています。
自分にはそんな傷も体験も無い、
という方もいらっしゃるでしょう。
よかったです✨
そう、願うばかりです。
ステップ9、生命の系譜の癒し
に進まれるとわかってきますが、
今世、個人の体験以外の体験を
私たちの身体にメモリーしてることに気づき始めると思います。
罪があろうとも罪悪感があろうとも、
これだけ戦争、天災、人災があって、
これらの4役をどれも体験してない魂は
果たして存在するのでしょうか、、
私にはわかりません。
ご希望なさる方の癒しと解放の魂の旅へ
ひたすらお連れすることしかできませんが、
世の中の安然に繋がれば祈り、
靈氣の活動を続けております。
そして、
それでも産まれてくる生命があり、
生かされている事に気づいた時、
生きている毎瞬が奇跡だと思えた時に、
今ここで生きている時点で「私」はゆるされていて、
自分自身が「ゆるし」そのものという事に気づかれると思います。
ゆるすとか、ゆるさないとか、
ゆるされるとか、ゆるされない、
なんて世界(仕組み、構造)から解放されています。
この状態を目指して、
癒しと解放の旅は続きます。
これら全ての体験をひっさげて、
ドラマを繰り返している世界の人々に
何ができるか?
慈愛の体現が始まります。
その先に
死刑執行人の役柄にヒーローとヒロイン役も
含まれるのが観えてきます。
善と悪の観念と構造からの解放です。
また次の癒しが待っています。
長くなりましたが、
お付き合いありがとうございました。
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